その時、去来する想いは・・

中学2年の初め、ある教員によるラベリングを発端として教頭をはじめとする多数の男性教員からの身体的・精神的虐待を受け続けるようになり、それがきっかけとなって、生徒全員からの疎外、やがてはハードな苛めへと移行した2年間を、ただただ、耐えるしかなく、中学卒業時には、心身共にボロボロになっていた。

胃に穴が開き、病院では即手術が必要と。

朝起きると枕が鼻血で真っ赤に染まっており、血液検査は、50分も、血が止まらず、原因不明とされた。

水を飲んだだけでも吐く、腹痛、下痢、歩いてもお腹が痛い。時々気を失う。

 

その私が、東京に単身上京したのは、せめて自分のやりたい音楽活動を一度はちゃんとやってみたいという執念からだった。

親には、大学進学を口実とした嘘をつき、結局、9か月間、行方不明となり、両親に、取り返しのつかない苦痛を与えてしまった。

場面緘黙症、対人恐怖症、広場恐怖症、極度の強迫神経症の数々・・・そんな診断名すら存在しなかった時代である。

きちんと働けず、学校も休みがちで、根性がなってないと言われた――。

 

しかし、だからこそ、大学に入って心理学を学び、そんな精神論が嘘であることを知った。真に大事なことは、事実であり、実態であり、そこへの現実的な対策を行うことであると痛感した。

 

だから、どんなに苦しくても、新宿駅の階段を、一気に上まで登れなかった私は、健康体を取り戻すために、死に物狂いで努力した。そのために、必死で調べ、学んだ。

 

その結果が、医療従事者を唸らせるほどの奇跡を、何度も、何度も、起こすことになった。

 

『寝返りを打っただけで死ぬ可能性があるから、キミは30代を最後まで生きられないかも知れない。だから、これからの人生を好きなように生きなさい――』そう入院先の担当医から宣言されたのは、27歳の夏だった。

飛行機に乗ることと、水に潜るのだけは、直截呼吸器にダメージを与えてとても危険だから、やらないように、と医師から注意を受けた私だったが、いま―――。

年に一度、夫婦で海外に行き、海に潜るのが、自分へのご褒美になっている。

ま、コロナでそうもいかなくなったけど!

 

これは、奇跡のオンパレード、と言われた、私の人生の回顧録、かな・・・。

いや、苦しみに屈しないで、生きているすべての人へのエールでありたい――。